「階層が固定化している」といってもピンと来ないかもしれません。確かに、身分制度はないし、私たちはこの社会の一員として等しく機会や権利を認められていることになっています。ここでいう階層とは、階級的な意味合いではなく、世帯収入や親の学歴、蔵書数などの文化的持ち物、職業的地位などで表される社会経済的地位(SES:socio-economic status)のことです。つまり「階層が固定化している」というのは、SESが高い家庭で育った子どもは社会的・経済的に卓越しやすく、SESが低い家庭で育った子どもは社会的・経済的に成功しにくいという状態が複数世代に渡って再生産されていることを意味します。
たとえば、SESの中でも代表的な要素である「父親の学歴」と子どもの最終学歴の関係に、教育達成の歴然とした差を見ることができます。松岡(2019)によると、2015年の調査では、父親の最終学歴が大卒(父親の「大卒」に関しては、旧制高校を含む)[注釈1]の70代の男性は大卒率が56%であった一方、父親が非大卒の70代男性では19%でした。この差の存在はいまでも変わりません。20代の男性で見てみても、父親の最終学歴が大卒(短大を含む)では大卒率が80%であるのに対し、父親が非大卒の場合子どもの大卒率は35%でした。この傾向はもちろん女性の短大卒以上の割合でも同様に示されています。(松岡, 2019, pp. 34-35)つまり、親が大卒なら、子どもも大卒になりやすいということです。
あるいは、学力においても、階層固定が指摘されています。平成25年度全国学力・学習状況調査によると、小学6年生では、全体を4つに分けたうち、家庭のSESの値が最も低い集団が3時間以上勉強しても、最もSESが高い集団が全く勉強していないときの成績に追いつける可能性はほとんどないそうです(耳塚, 中西, 2014, p. 87)。こうした統計分析はあくまで全体的な傾向を示したもので、例外を許さないわけではありませんが、学力差は義務教育段階ですでに乗り越え難いものになっています。