Mission

教育格差を是正する政策を考案せよ。ただし、教育格差とはどのような問題か、

教育格差が是正された状態とはいかなる状態か、明確にすること。

課題文

教育格差の発見

 身分制が崩壊した多くの近代社会において、教育は階層上昇の手段とされてきました。教育によって能力を身に付けること、あるいは学歴という資格を手に入れることで出身階層より高い階層への移動を達成しようと、勉強に熱心に取り組んだり、子どもの教育費をなんとか工面したりしてきた人々は決して少なくありません。高校や高等教育への進学率が上昇を続けた1970年代以降、「子どもが自分より高い学歴を得られた」「親よりよい職に就けた」といった実感が伴い、教育は、個人に平等に与えられた成功のチャンスと認識される傾向にありました。そして、成功できなかったとき、その原因は個人の能力や努力の欠落に求められました。

 しかし実際のところ、教育は平等なチャンスではありません。個人の教育達成は親の学歴や世帯収入、進学期待といった、子ども自身ではどうにもできない条件によって決定づけられていたのです。そして最終学歴がその後の職業や収入と強く結びついている以上、個人で変えることのできないこの初期条件は、一生を規定するとも言えるでしょう。

 早稲田大学の松岡亮二(2019)は、昨年新書大賞に選ばれた著書『教育格差』のなかで、「戦後日本社会には、程度の差こそあれ、いつだって『生まれ』による最終学歴の格差―教育格差があった」と指摘しています(松岡, 2019, p. 15)。教育が階層流動化の機能を持っていないこと、逆に教育を通して階層が固定化されていることは、実はこれまでも幾度となく指摘されていました。しかし、私たちはこれを無視してきた、あるいは気付かないできたのです。教育格差は、近年注目されるようになった「子どもの貧困」や「格差社会」といった関心から、私たちの社会が抱える問題としてようやく認識されたと言えます。

階層固定の実態

 「階層が固定化している」といってもピンと来ないかもしれません。確かに、身分制度はないし、私たちはこの社会の一員として等しく機会や権利を認められていることになっています。ここでいう階層とは、階級的な意味合いではなく、世帯収入や親の学歴、蔵書数などの文化的持ち物、職業的地位などで表される社会経済的地位(SES:socio-economic status)のことです。つまり「階層が固定化している」というのは、SESが高い家庭で育った子どもは社会的・経済的に卓越しやすく、SESが低い家庭で育った子どもは社会的・経済的に成功しにくいという状態が複数世代に渡って再生産されていることを意味します。

 たとえば、SESの中でも代表的な要素である「父親の学歴」と子どもの最終学歴の関係に、教育達成の歴然とした差を見ることができます。松岡(2019)によると、2015年の調査では、父親の最終学歴が大卒(父親の「大卒」に関しては、旧制高校を含む)[注釈1]の70代の男性は大卒率が56%であった一方、父親が非大卒の70代男性では19%でした。この差の存在はいまでも変わりません。20代の男性で見てみても、父親の最終学歴が大卒(短大を含む)では大卒率が80%であるのに対し、父親が非大卒の場合子どもの大卒率は35%でした。この傾向はもちろん女性の短大卒以上の割合でも同様に示されています。(松岡, 2019, pp. 34-35)つまり、親が大卒なら、子どもも大卒になりやすいということです。

 あるいは、学力においても、階層固定が指摘されています。平成25年度全国学力・学習状況調査によると、小学6年生では、全体を4つに分けたうち、家庭のSESの値が最も低い集団が3時間以上勉強しても、最もSESが高い集団が全く勉強していないときの成績に追いつける可能性はほとんどないそうです(耳塚, 中西, 2014, p. 87)。こうした統計分析はあくまで全体的な傾向を示したもので、例外を許さないわけではありませんが、学力差は義務教育段階ですでに乗り越え難いものになっています。

無理解と自己責任論

 このように、社会構造的に格差は克服し難いものとなっているのですが、日本ではある程度平等な条件下での自由競争が保証されているという考えから、社会での失敗が環境のせいではなく、その人の能力、努力不足のせいであるとする論調が存在します。多少生まれによる格差はあろうと基本的に教育機会は全員に均等に開かれており、高校進学率は100%に近く、大学に進むかどうかはその人の自由である。奨学金制度も整ってきている。だから、大学に進まずに多少不安定な職に就くことになろうと、それは大学に進まないことを選択したその人の自己責任であると。

 さらに、機会均等の幻想は教育格差の中で成功することができなかった当人にも同じような感覚を植え付ける場合があります。教育機会が均等に開かれたこの社会で自分が成功しなかったのは、自分の能力不足であり、仕方のないことであるという感覚です。自分に対して「自己責任」と言って片づけてしまうことは、他者の抱える困難をも自己責任として一蹴することにつながります。

教育格差のなかにいる個人を見つめる

 では、SESの低い層に対して学習支援や経済支援を重点的に行えば、教育格差は解消されるのでしょうか。

 そんなに簡単なら、教育格差がここまで重要な社会課題にはなりえないでしょう。問題はもっと複雑で、個々の問題が独立して存在することはありません。なぜなら、SESの低い層に位置する人たちは、同時にさまざまな問題を抱えやすくもあるからです。教育格差のなかにいる一人一人を見ると、貧困を軸に、虐待、親の離別、不登校、障害、外国ルーツといった問題が重なってよりしんどい状況に陥るケースが多いことに気が付くはずです。

 そういった子どもたちは、教育以前の問題として、健全な成育発達に必要不可欠である安心・安全な衣食住環境や人間関係にしばしば恵まれていません。教育格差のなかに、非常に不利な背景を持った子どもたちがいる以上、彼らの根本的な問題を無視して教育や学習上の問題を語ることはできないはずです。教育格差を是正するのなら、さまざまな問題を抱えた子どもがいることを踏まえて、学校の在り方、教育・学習の在り方を考え直す必要があるでしょう。

 例えば、教育は何を目的としているのでしょうか。社会のため、国家のため、その人個人のため―。教育の個人に帰する意義の中にも、「豊かな人間性」を育むことや、個人の「能力」を高めること、他者より秀でて社会で卓越すること、共に生きる仲間と友情を育むなど様々な意義があります。教育を受ける子どもの時期は社会に出る前の準備段階ではなく、それ自体に意味があるという考えもあるでしょう。教育の意味を考えた上で、教育格差を是正した先にどのような未来を描くのか、考えなければなりません。

政策立案コンテストというアイロニー

 ここまで教育格差の問題意識を述べてきましたが、そもそもこのコンテスト自体大きな矛盾をはらんでいます。教育格差を問題としつつもコンテストが大学生、それも政策や社会問題に興味のある「優秀な」大学生に思考体験を開いているという点です。そうでなくとも、私たち大学生が教育格差を考えるということ自体、若干皮肉めいたものを感じ、得体の知れない罪悪感のようなものを覚えます。

 ここで、「優秀な」学生が教育格差を解決しようとしてなにが悪い、と言ってしまえばただの開き直りになってしまいます。私たちはしばしば、自分をまったく問題の外において、解決にむけて働きかけようとしていないでしょうか。しかし本当は、私たちもまた教育格差の当事者なのです。構造のなかで有利に立ってきた、特権の恩恵を受けてきた私たちは、真に誠実になるのなら、まるで無実のような顔をして教育格差を語ることはできないはずです。

教育格差に向き合う

 では、私たちはどうすればいいのか。私たちができると一つ確実に言えるのは、諦めず、ただひたすら真摯にこの問題に向き合おうとすることでしょう。論文やその中のデータとして扱われている数字の向こう側には、どのような人が生活していてどのような人生を送ってきたのか、どんな望みを持って日々暮らしているのか、想像してみてください。

 もちろん、限界はあります。むしろ、他者を理解できると思ってしまうのは、傲慢な態度でしょう。このコンテストでは、2週間かけて議論を尽くし、1つの課題に取り組みますが、それでもチームメイトのことを完全に理解できたりはしないでしょう。ましてや、会ったこともない人のことが理解できるはずがありません。しかし、だからといって結局理解できないものなのだと諦めないで下さい。今日ここに集った私たちは、きっとそれぞれが多様な背景を持っています。最近になって、教育格差を認識したという人もいれば、前に挙げたような特権を有さず、様々な逆境や不利を乗り越えていまこの場にいる人もいるでしょう。そうであれば、これまでの生い立ちや体験を語り合うことで、自分の「当たり前」を相対化して、不十分ながらも、「誰か」に思いを馳せることができるのではないでしょうか。

 時の流れをさかのぼって、子ども時代を思い出してみてください。クラスに問題児と呼ばれる子はいなかったでしょうか。たとえば、授業中騒いでしまう子や、怒りっぽくすぐに手を上げてしまう子がいなかったでしょうか。彼はもしかしたら、家庭に居場所がなかったのかもしれないし、学校での対応が合っていなかったのかもしれません。あるいは、あの頃あんなに仲が良かったのに、今では彼女とはこんなにも人生が違ってしまった、と思い当たることはありませんか?対話する中で、当時は思い至らなかったことに、今なら気付けるかもしれません。

 想像してみよう。他者の人生を。あなたの周りにいた彼らのことを。あなただったかもしれない彼らの人生を。

 そうしてはじめて、真摯に教育格差に向き合えるはずです。

【注釈】
1.時代ごとに定員数や大卒率は異なるため、親世代の大卒と子世代の大卒の価値は当然同じではない。

【参考文献】

松岡亮二(2019)『教育格差―階層・地域・学歴』筑摩書房

耳塚寛明, 中西啓喜(2014)「社会経済的背景別にみた、学力に対する学習の効果に関する分析」(平成25年度「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」,https://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_factorial_experiment.pdf

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