学生団体GEILは2020年6月27日(土)から28日(日)、オンラインにて二日間の政策立案コンテストを開催いたしました。全国から38名の学生が集まり、テーマ「教育格差」の解決のための政策立案を行い、学びの深い有意義な2日間となりました。
 開会式、アイスブレイクの後、参加者の方々には「Misson・課題文」が与えられ、それを元に政策立案を行いました。

課題文

教育格差の発見

 身分制が崩壊した多くの近代社会において、教育は階層上昇の手段とされてきた。教育によって能力を身に付けること、あるいは学歴という資格を手に入れることで出身階層より高い階層への移動を達成しようと、勉強に熱心に取り組んだり、子どもの教育費をなんとか工面したりしてきた人々は決して少なくない。高校や高等教育への進学率が上昇を続けた1970年代以降、「子どもが自分より高い学歴を得られた」「親よりよい職に就けた」といった実感が伴い、教育は、個人に平等に与えられた成功のチャンスと認識される傾向にあった。そして、成功できなかったとき、その原因は個人の能力や努力の欠落に求められた。

 だが実際のところ、教育は平等なチャンスではなかった。個人の教育達成は親の学歴や世帯収入、進学期待といった、子ども自身ではどうにもできない条件によって決定づけられていたのである。そして最終学歴がその後の職業や収入と強く結びついている以上、個人で変えることのできないこの初期条件は、一生を規定するとも言えよう。

 松岡(2019)は、昨年新書大賞に選ばれた著書『教育格差』のなかで、「戦後日本社会には、程度の差こそあれ、いつだって『生まれ』による最終学歴の格差―教育格差があった」と指摘している(松岡, 2019, p. 15)。教育が階層流動化の機能を持っていないこと、逆に教育を通して階層が固定化されていることはこれまでも幾度となく指摘されていた。しかし、われわれはこれを無視してきたのである。教育格差は、近年注目されるようになった「子どもの貧困」や「格差社会」といった関心から、われわれの社会が抱える問題としてようやく認識されたと言えよう。

階層固定の実態

 「階層が固定化している」といってもピンと来ないかもしれない。確かに、身分制度はないし、われわれはこの社会の一員として等しく機会や権利を認められているはずだ。ここでいう階層とは、階級的な意味合いではない。世帯収入や親の学歴、蔵書数などの文化的持ち物、職業的地位などで表される社会経済的地位(SES:socio-economic status)のことである。つまり「階層が固定化している」というのは、SESが高い家庭で育った子どもは社会的・経済的に卓越しやすく、SESが低い家庭で育った子どもは社会的・経済的に成功しにくいという状態が複数世代に渡って再生産されていることを意味する。

 たとえば、SESの中でも代表的な要素である「父親の学歴」と子どもの最終学歴の関係に、教育達成の歴然とした差を見ることができる。松岡(2019)によると、2015年の調査では、父親の最終学歴が大卒(父親の「大卒」に関しては、旧制高校を含む)の70代の男性は大卒率が56%であった一方、父親が非大卒の70代男性では19%であった。この差の存在はいまでも変わらない。父親の最終学歴が大卒(短大を含む)の20代男性では大卒率が80%であるのに対し、父親が非大卒の場合子どもの大卒率は35%であった。この傾向はもちろん女性の短大卒以上の割合でも同様に示されている。(松岡, 2019, pp. 34-35)つまり、親が大卒なら子どもも大卒になりやすいということだ。

 あるいは、学力においても、階層固定が指摘されている。平成25年度全国学力・学習状況調査によると、小学6年生では、4つに分けたうち家庭のSESの値が最も低い集団が3時間以上勉強しても、最もSESが高い集団が全く勉強していないときの成績に追いつける可能性はほとんどない(耳塚, 中西, 2014, p. 87)。

 こうした統計分析はあくまで全体的な傾向を示したものだが、学力差は、義務教育段階ですでに乗り越え難いものになっている。

教育格差のなかにいる個人を見つめる

 では、SESの低い層に対して学習支援や経済支援を重点的に行えば、教育格差は一件落着、となるだろうか。

 そんなに簡単なら、教育格差がここまで重要な社会課題にはなりえない。問題はもっと複雑だ。個々の問題が独立して存在することはない。SESの低い層は、さまざまな問題を抱えやすい層でもある。教育格差のなかにいる一人一人を見ると、貧困を軸に、虐待、親の離別、不登校、障害といった問題が重なってよりしんどい状況に陥るケースが多いことに気が付くはずだ。

 そういった子どもたちは、教育以前の問題として、健全な成育発達に必要不可欠である安心・安全な衣食住環境や人間関係にしばしば恵まれていない。教育格差のなかに、非常に不利な背景を持った子どもたちがいる以上、彼らの根本的な問題を無視して教育や学習上の問題を語ることはできない。教育格差を是正するのなら、さまざまな問題を抱えた子どもがいることを踏まえて、

学校の在り方、教育・学習の在り方を考え直す必要があるだろう。

当事者の視点に立つ

 私たちの誰もが、教育という営みを経験してきている。きっと、自分の経験に基づいて教育を語ることができるだろう。しかし、このコンテストの場に集まった皆さんは比較的同質であることに留意しなければならない。少なくとも大学進学に何かしらの価値を置き、進学を叶えただろうが、それは決して当然ではないのだ。特に、今回扱う問題のなかにある当事者は、あなたの人生では決して起こりえないような逆境に直面してきたかもしれない。

 子ども時代を思い出してほしい。クラスに問題児と呼ばれる子はいなかっただろうか。たとえば、授業中騒いでしまう子や、怒りっぽくすぐに手を上げてしまう子がいたと思う。子どもの頃は、そういう子に対して、邪魔だとか、不快だとか、理解できないとか思ったかもしれない。しかし、そういう子どもたちを、問題をよく起こす子ではなくて、問題を抱えている子・問題の中にある子、というふうに捉え直してみてほしい。もしかしたら、家庭で苦しい思いをしていたかもしれないし、学校での対応が合っていなかったのかもしれない。当時は思い至らなかったことに、今なら気付けるかもしれない。

 想像してみよう。他者の人生を。あなたの周りにいた彼らのことを。あなただったかもしれない彼らの人生を。

そうしてはじめて、真摯に問題に向き合えるはずだ。

以上の問題意識から、Missionを以下のように設定する。

Mission

 様々な困難を抱える子どもたちの教育・学習上の課題を解決する政策ないし政策パッケージを立案せよ。なお立案にあたっては、どういった子どもを対象にするのか、チームで明確にすること。
【参考文献】
松岡亮二(2019)『教育格差―階層・地域・学歴』筑摩書房 
耳塚寛明, 中西啓喜(2014)「社会経済的背景別にみた、学力に対する学習の効果に関する分析」(平成25年度「学力調査を活用した専門的な課題分析に関する調査研究」(https://www.nier.go.jp/13chousakekkahoukoku/kannren_chousa/pdf/hogosha_factorial_experiment.pdf )
 課題文を元に政策が立案され、2日目に各チームの発表と審査が行われました。
 閉会後は懇親会で参加者が交流しました。感想を共有し、立案中にはできなかった雑談が盛り上がり、大変良い機会となりました。

現在、夏に開催いたします「学生のための政策立案コンテスト2020」の参加者を募集中です。
2days GEILよりさらに充実したコンテンツを用意しております。

全国の大学生・大学院生のみなさま、ぜひご参加ください。 
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