【WinterGEIL一般募集中】
今冬学生団体GEILは資源エネルギー庁からご支援いただき高レベル放射性廃棄物に関する政策立案コンテストを行います。今回の立案では原子力発電に伴い発生する高レベル放射性廃棄物の最終処分地の誘致に関する課題について考えます。放射廃棄物にまつわる様々な取り組みを行なっている日本原燃株式会社の見学、様々な立場の現地住民の方々との交流など充実したコンテンツを通して日常意識しづらいような問題にも明確なイメージを持って取り組めます。
今回視察が予定されている青森県六ヶ所村は下北半島の豪雪地帯に位置する人口1万人余りの村です。産業が十分に発達せず、かつては多くの村人が出稼ぎに出る村だった六ケ所村ですが、実は日本のエネルギー問題の最先端となっています。そこには高レベル放射性廃棄物管理貯蔵センター、使用済み核燃料の再処理工場などをはじめ我が国の核燃料サイクルの中心施設が立ち並んでいます。
そんな六ケ所村の施設に関連して、実は日本にはある大きな問題が存在します。
それは原子力発電に伴い発生する高レベル放射性廃棄物の最終処分に目処が立たないことです。高レベル放射性廃棄物は当初は放射能レベルが高くその放射能が十分低くなるまでには長い期間を必要とします。そのため長期間に渡って、人的依存せず、人間の生活環境から隔離することが重要となっているのです。その際、人的ミスを防ぐため地中深くに埋めて隔離する方法が示されています。これを地層処分と呼んでいます。現在経済産業省や原子力発電環境整備機構(NUMO)が高レベル放射性廃棄物の地層処分場として受け入れてくれる自治体を探しています。しかし住民の誘致反対などに会い、そうした自治体は未だに見つかっていません。
原子力発電所、米軍基地、保育園など住民が環境汚染や騒音などの公害や、事故、治安の悪化などの私的な負担の発生を見込んで忌避しがちな施設が社会には多く存在します。こうした施設の建設をめぐり周辺住民との間に生じる困難をNIMBY(Not in my back yard)という言葉で把捉することがあります。NIMBYとは施設の社会的な必要性は認めるが、自分たちの居住地域には建てないで欲しいという住民の態度を指す言葉です。
この言葉は慎重に検討されるべきものです。最終処分場の受け入れという問題では、電力の消費地として施設の恩恵を多く受ける地域と、施設を受け入れる地域は分離していることから、日本の中で便益と負担を比例的に分配することは極めて困難です。そのため多くの国民は原子力発電の恩恵を受けながらも最終処分場受け入れを対岸の火事として捉える傾向が存在します。まずは国民全体が高レベル放射性廃棄物の発生などに当事者意識を持ち、処分の行く末に目を向け始めることが求められます。
またNIMBYをめぐる本質的な問題は私権性を求める候補地の住民と公益性を目指す行政では見える景色が極端に違うことです。確かに公益確保の方法を論点に欠いて住民が居住地域の環境保護を主張することは「地域エゴ以外の何ものでもありはしない」(西部1996)という主張も存在します。しかし行政との立場の違いから生まれてしまう住民の声をNIMBYとして一蹴することは横柄でしょう。そのため社会的な合理性を追求した結果、個人が望む生活を送る権利を奪いうるこの構造では「施設立地における住民との合意形成に際して、処理施設や処理事業への不信感を合理的に解決していく必要がある」(瀬尾1999)と考えられています。
現代社会は放射能の他、環境汚染、地球温暖化など世界規模で様々なリスクに晒されています。その様子はまさにドイツの社会学者ベック(1968)が提唱したような「リスク社会」と言えます。ここでのリスクとは「社会の発展から生まれ、社会の発展とともに拡大し、ついには社会そのものを脅かすようになった危険、すなわち近代化の副産物としての危険、近代化に伴う危険」(飛田,2014)を意味しています。この社会は、科学的にもまだ研究段階のもの、責任を特定の集団には帰しにくい問題が多いことが特徴です。リスク社会において政策決定していく上では、行政や科学者に任せきりにするのではなく、市民を含めた社会全体での討議に基づく意思決定が重要であるとワインバーグ(1972)が提唱しました。
今年7月にも第5次エネルギー基本計画が発表され、東日本大震災以降の我が国のエネルギー政策はちょうど転換期を迎えており、今こそ社会全体での議論が必要とされているのではないでしょうか?
私たちとWinterGEILを通して高レベル放射性廃棄物の処分地選定を切り口に、リスク社会における合意形成、エネルギー政策の行く末などにも考えを巡らせてみませんか?
※当イベントは、資源エネルギー庁放射性廃棄物対策課平成30年度放射性廃棄物広聴・広報等事業の一環としてGEILが共に実施しております。