―玉谷祥子氏プロフィール―

 株式会社LITALICO LITALICOキャリア部 部長(2020年現在育休中)

石川県金沢市出身、上智大学総合人間科学部卒。在学中は学生団体OVALの副代表等の課外活動に励む傍ら社会学を学び、後にアメリカで「ソーシャルビジネス」に出会う。大学四年時に学生インターンとしてLITALICOにジョインし、2012年4月に新卒として入社。入社後は三ヶ月~半年ごとにジョブチェンジしながら、新規拠点・新規事業立ち上げに従事。26歳で第一子妊娠、2020年1月より第二子の産休に入り、現在育休中。現在0歳の息子と3歳半の娘の子育てをしながら、個人としてスタートアップ企業を支援中。

LITALICOは「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げ、障害がある大人への就労支援や障害のある子どもたちの教育をサポートをしている。玉谷氏は発達が気になる子どもへの支援とその事業運営を経験した立場から、障害のある子どもを取り巻く環境の課題について、そして全ての子どもが等しく質の高い教育にアクセスできる社会についてお話をしてくださった。

 株式会社LITALICO LITALICOキャリア部 部長(2020年現在育休中)

石川県金沢市出身、上智大学総合人間科学部卒。在学中は学生団体OVALの副代表等の課外活動に励む傍ら社会学を学び、後にアメリカで「ソーシャルビジネス」に出会う。大学四年時に学生インターンとしてLITALICOにジョインし、2012年4月に新卒として入社。入社後は三ヶ月~半年ごとにジョブチェンジしながら、新規拠点・新規事業立ち上げに従事。26歳で第一子妊娠、2020年1月より第二子の産休に入り、現在育休中。現在0歳の息子と3歳半の娘の子育てをしながら、個人としてスタートアップ企業を支援中。

LITALICOは「障害のない社会をつくる」をビジョンに掲げ、障害がある大人への就労支援や障害のある子どもたちの教育をサポートをしている。玉谷氏は発達が気になる子どもへの支援とその事業運営を経験した立場から、障害のある子どもを取り巻く環境の課題について、そして全ての子どもが等しく質の高い教育にアクセスできる社会についてお話をしてくださった。

 

障害は個人ではなく社会にある

 玉谷氏によれば、障害は人ではなく社会の側にあるという。このことを、眼鏡やコンタクトレンズを例に挙げて説明してくださった。もし眼鏡やコンタクトレンズが手に入らない社会にいれば、多くの人が日々の生活に困難さを感じ、「視覚障害者」というラベルを貼られるかもしれない。

 「私は裸眼だとテレビも本も見られないほどですが、いま日本という社会にいて自分が障害者というラベルも自己認識もないのは、これだけ安価に眼鏡やコンタクトが手に入る社会にいるからです。」

 今の日本社会では個々人が生活する上での困難さは未だたくさんあり、それをサポートする体制が不十分である。社会の側にある障害を取り除くことで障害のない社会を作っていこうというのが、株式会社LITALICOのコンセプトだ。

本当に子ども自身に問題があるのか?

 授業中立ち歩いてしまう、友達と喧嘩して手が出てしまう、学習の遅れが著しい、などといった「問題がある」と言われる子どもたちが一定数いる。このような子どもたちの背景の一つには発達障害があると考えられている。文部科学省の2012年の調査では、そういった「問題がある」とされる子どもは全体の約6.5%いるとされている。つまりクラスに2~3人は支援が必要な子どもが存在しているのだ。 しかし問題とされる行動は、本人の努力不足や親のしつけ等が原因とされ、発達面での課題が見逃されてしまい、適切なサポートを受けられないケースもある。

 そもそも「問題がある」と言われる場合、多くは子ども自身に問題があると捉えられがちだ。だが実際は、「個」と「環境」の相互作用の中で問題は生じる。つまり、子どもと、その子ども置かれた環境によって初めて問題が生じるため、個と環境双方へのアプローチが重要となってくる。

 「問題があると言われているのは本当に子ども自身なのでしょうか?困りごとはいったいどこにあるのでしょうか?個人だけに問題があるのではなく、その個人が置かれている環境にも目を向けなくてはいけません。」

 ここで毎日忘れ物をしてしまう子どもを例として考えてみる。その子が忘れ物をしてしまう原因を考えたとき、「個」の特徴としては、耳で聞いた情報を記憶するのが苦手であることが挙げられるかもしれない。その子どもがいる学級において、先生が持ち物を口頭のみで伝えているような「環境」だとすると、子どもに「忘れ物をしないように」と諭したところで、改善はしないであろう。この場合、「環境」に対しては、先生が連絡事項を黒板に大きく書いたり、連絡帳にメモを書いているか確認するなどの工夫ができるはずである。このように「環境」から対策できることは沢山あるのに、普通の学級では個々にあわせた対策が十分になされず、その子は毎日叱られていたり、「できない子」というレッテルを貼られてはいないだろうか。「個」と「環境」の要因をしっかりと分析をしないと、問題は解決しない。学級の中で何かに困っている子どもがいた時、その「個」の特徴と「環境」の両方の視点で見ていくことが大事である。

どんな人でも暮らしやすい社会

 「個」の特徴はそれぞれ多様で、程度も大きく変わってくる。困難は「個」と「環境」の相互作用の中で生じてくるので、「個」が多様だとその分多くの困難が生まれる。そして、ある人にとって暮らしやすい社会が、また別の人にとって暮らしやすい社会とは限らない。社会に適応できない人が排除をされたり、差別を受けたりするということが起きてくる。どんな人がいても困難さが生じづらい社会、排除のない社会は、共生社会と言われているが、そのような社会を作るためにはどんな教育環境が必要なのだろうか?玉谷氏がお話されたインクルーシブ教育についてもう少し具体的に見ていく中で考えてみたい。

 「個」の特徴が多様な中、特別な教育的ニーズを持つ子を含む全ての子どもが質の高い教育にアクセスできるような教育システムを構築するのが「インクルーシブ教育」である。インクルーシブ教育とは、すべての子どもには何かしらの「ニーズ」があることを前提とし、その多様なニーズに応えられる教育システムの構築プロセスである。その土台には、「子ども一人一人が学びにアクセスするために必要なものを提供していくべきである」という教育における合理的配慮の考え方が重要になってくる。例えば、ノートと鉛筆で板書を取るのは難しいが、iPadのタッチ操作でなら文字が書けるという子どもがいるとする。今までは一人だけ特別扱いをするという理由で理解が得られないことが多かったが、これからは子どもが学びにアクセスする権利としてこれを認めていく必要がある。このために専門性のある教員の配置や、一人一人が学びやすい教材の確保(例えばICTを利用)をするなど、行政の介入も必要だ。政策の整備がなされたら、最終的にそれを実行していくのは先生に委ねられるが、インクルーシブ教育を実現する上で、ただでさえ多忙な先生がひとりひとりの子どもに対応していくのは大変困難なことである。先生の多忙さという問題も含む、数々の教育現場全体の問題を解決していかなければならない。

 「先生も含めて環境整備が必要であり、この問題は学校全体で取り組んでいかなければならない。先生も子どももみんながハッピーになれるように、国、自治体、学校現場が一丸となれるような政策を考えていただきたい」

 いわゆる「困った子」自身に問題があるとするのではなく、環境にも問題があるという視点を持って取り組む姿勢は重要であると感じた。特別な支援が必要な子どもを含む全員が質の高い教育にアクセスすることを目指すインクルーシブ教育に向けて、個人と環境の両方にアプローチすることが必要になる。自分が小学生の時は、障害のある同い年の子どもは特別支援学級に在籍していた。「個」と「環境」の両方の特徴を考え対応していけば、同じ教室で学べたのかもしれない。インクルーシブ教育には先生の負担など様々な課題があるが、どんな人がいても困難さが生じづらい社会、排除のない社会を作るためには、今一度現在の教育体制を見直しインクルーシブ教育を進めていく必要があると感じた。

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