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李炯植氏プロフィール―

 兵庫県出身。自身の生まれ育った地域での原体験から、子どもの貧困問題に関心を持つ。2014年に特定非営利活動法人Learning for All を設立、同法人代表理事に就任。全国子どもの貧困・教育支援団体協議会理事。Forbes JAPAN 30 under 30、Global Shapers Communityに選出。東京大学大学院教育学研究科修了。

  兵庫県出身。自身の生まれ育った地域での原体験から、子どもの貧困問題に関心を持つ。2014年に特定非営利活動法人Learning for All を設立、同法人代表理事に就任。全国子どもの貧困・教育支援団体協議会理事。Forbes JAPAN 30 under 30、Global Shapers Communityに選出。東京大学大学院教育学研究科修了。

学力と食事だけではない「子どもの貧困」問題の実態
学力と食事だけではない 「子どもの貧困」問題の実態

 子どもの貧困が語られるときには、「貧困家庭の子どもは学習遅滞を抱えやすい」という学力の問題と、「家庭で十分な食事を摂ることができない」という食事の問題の2つが注目されがちである。しかし李氏は、子どもの貧困が抱える問題はその2つに留まらない、より複合的な問題であるということを強調している。今回のヒアリングでは、李氏がNPO法人Learning for Allの活動を始めたきっかけやその活動の中で現在取り組んでいる課題、子どもの貧困との向き合い方などについてお話を伺った。

| 李炯植氏のご活動

 李氏が代表理事を務めるNPO法人Learning for All(以下「LFA」)は、「子どもの貧困に、本質的解決を。」をミッションに掲げ、困難を抱える子どもたちへの包括的支援、チェンジメーカーの育成、政策提言や子どもの貧困問題についてのメディア発信などを行っている。特に包括的支援では、学習支援事業や居場所支援事業を通して地域での「つながり・学びの環境・育まれる環境」の整備を行い、その全国展開にも力を入れている。

 

| 大学で実感した格差の存在

 講演の冒頭では、李氏が現在の活動を始めるきっかけとなった自身の経験を話してくれた。李氏が育った兵庫県尼崎市は、ホームレスの方が多く、仕事がないという人も少なくない地域だった。小学校の同級生で大学に進学したのは李氏を含めて3人だけで、他の同級生の中には貧困や虐待などの影響で大学進学どころか日々の生活さえ苦しいような人もいたそうだ。李氏自身も元々大学に行く気はなかったものの、先生やご家族の支えもあり東京大学に進学した。東大では地元の状況とは対照的に、経済的に恵まれた環境で育った学生に囲まれ、格差の問題を強く意識するようになった。このように、生まれた地域や家庭の経済状況など、自分ではどうしようもできない理由で子どもたちの可能性に差が生じる現実を目の当たりにした経験が、教育格差の問題に取り組み始めた背景にあったそうだ。

 

| Learning for Allが考える「子どもの貧困」

 子どもの貧困支援においては子ども食堂と学習支援が注目されることが多いが、貧困状態にある子どもたちの実態は食事と学力の問題だけに集約できるほど単純ではない。LFAでは、子どもの貧困を「経済的困窮を背景にして、社会的なつながりや学びの環境、育まれる環境など、子どもたちが自立して生きるために必要な機会が複合的に失われている状態」と考え、その課題を解決するために活動している。

 一つ目の「つながりの喪失」は、不登校や虐待などの理由により、子どもに信頼できる大人とのつながりが無いことを指す。特にひとり親家庭の場合は保護者にも相談相手がいないことが多く、地域コミュニティが希薄になる中で、苦しい状態にある家庭ほど社会的なつながりから排除されている現実がある。

 二つ目の「学びの環境の喪失」は、自分が今必要とする学びを提供されていない状況を指す。例えば、学校以外に学習できる場所が無いため、学習遅滞を抱えた子どもが自分に適したペースと方法で学びを進めることができないケースや、発達障害の子どもには発達の特性に合わせた学びの提供が必要なのに、それがなされていないなどのケースがこれに該当する。

 三つ目の「育まれる環境の喪失」は、虐待やネグレクトを受けていたり不適切な養育環境に置かれていたりする状況を指す。勉強をする以前に、安心安全な居場所を持って適切な生活基盤を整えること自体が困難な子どもも多くいるのが現状なのである。

 以上がLFAが考える「子どもの貧困」の主要素だが、個別のケースではこれより遥かに複雑な要素が交錯している場合が多い。だからこそ一方向からの支援だけでなく、子どもを中心として考えた包括的な支援が必要なのである。

| Learning for Allが考える「子どもの貧困」

 子どもの貧困支援においては子ども食堂と学習支援が注目されることが多いが、貧困状態にある子どもたちの実態は食事と学力の問題だけに集約できるほど単純ではない。LFAでは、子どもの貧困を「経済的困窮を背景にして、社会的なつながりや学びの環境、育まれる環境など、子どもたちが自立して生きるために必要な機会が複合的に失われている状態」と考えて活動している。

 一つ目の「つながりの喪失」は、不登校や虐待などの理由により、子どもに安心できる人とのつながりが無いことを指す。特にひとり親家庭の場合は保護者にも相談相手がいないことが多く、地域コミュニティが希薄になる中で、苦しい状態にある家庭ほど社会的なつながりから排除されている現実がある。

 二つ目の「学びの環境の喪失」は、自分が今必要とする学びを提供されていない状況を指す。例えば、学校以外に学習できる場所が無いため自分に適したペースと方法で学びを進めることができないケースや、発達障害の子どもには発達の特性に合わせた学びの提供が必要なのに、それがなされていないなどのケースがこれに該当する。

 三つ目の「育まれる環境の喪失」は、虐待を受けていたり不適切な養育環境に置かれていたりする状況を指す。勉強をする以前に、安心安全な居場所を持って適切な生活基盤を整えること自体が困難な子どももいるのが現状なのである。

 以上がLFAが考える「子どもの貧困」の主要素だが、個別のケースではこれより遥かに複雑な要素が交錯している場合もあるので注意が必要だ。

|「今」と「未来」の子どもへの支援​

 LFAでは上記のような子どもの貧困の捉え方を元に、今貧困に苦しんでいる子どもに届ける支援と、将来そのような状況に陥る子どもを減らしたり、今よりも状況を改善したりするための支援を行っている。

 まず今の子どもへのアプローチでは、貧困家庭の子どもに対する包括的な支援の提供を行なっている。具体的には、学校内のほか、公民館、LFAが運営している学童施設等に、小学1年生から高校生まで切れ目のない支援を行うための拠点を設置している。支援拠点では学習支援、居場所づくり、学童や中高生向けのフリースペースなど、多様なサポートが用意されている。また、こうした取り組みを行うにあたっては、実際に虐待が行われるなど状況が悪化するより前の段階から、予防的な支援を貧困家庭へ届けることも重視している。

 また、未来の子どもへのアプローチとして、現在行っている学習支援の教材や指導のノウハウを全国で配布する活動を行っている。加えて、現在LFA が行っている包括支援をモデル化し、それを各地域に導入できるような制度の構築に向けて政策提言も行っている。

 ここまで見てきたように、「子どもの貧困」は子どもたちの自立に必要な機会の喪失が複合的に組み合わさっている場合が多い。この問題の解決のためには、一つ一つのケースで子どもの癖や認知の特性、そして周囲の環境などを多角的に、かつ深いところまで見ていき、個別的な解決方法を探ることが求められる。全体を俯瞰することが重視されがちな政策立案の場において、李氏が個別的な眼差しの重要性を指摘したことには大きな意義があるのではないだろうか。

 また、子どもの貧困支援とは単に子どもを高校や大学に行かせればよいという話ではない。たとえ子ども本人が高校や大学に行けないとしても、当人が幸せに生きるために周りはどう支援すればよいのか、社会はどのようにその子どもに関わればよいのかという点を考えなければならないのだ。そのため、時には高校や大学への進学こそ是だとする教育観から離れることも必要となるだろう。

「この子どもたちは幸せなのか、子どもたちの幸せをどう捉えてどのように関わるのか」ということが、現場の支援者だけではなく社会全体に問われている。

 ここまで見てきたように、「子どもの貧困」は子どもたちの自立に必要な機会の喪失が複合的に組み合わさっている場合が多い。この問題の解決のためには、一つ一つのケースで子どもの癖や認知の特性、そして周囲の環境などを多角的に、かつ深いところまで見ていき、個別的な解決方法を探ることが求められる。全体を俯瞰することが重視されがちな政策立案の場において、李氏が個別的な眼差しの重要性を指摘したことには大きな意義があるのではないだろうか。

 また、子どもの貧困支援とは単に子どもを高校や大学に行かせればよいという話ではない。たとえ子ども本人が高校や大学に行けないとしても、当人が幸せに生きるために周りはどう支援すればよいのか、社会はどのようにその子どもに関わればよいのかという点を考えなければならないのだ。そのため、時には高校や大学への進学こそ是だとする教育観から離れることも必要となるだろう。

「この子どもたちは幸せなのか、子どもたちの幸せをどう捉えてどのように関わるのか」ということが、現場の支援者だけではなく社会全体に問われている。

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